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古井戸の呪い

(5)

「何ぃ! 香坂に振られただって!?」
「まだ、そう決まったわけじゃないけど…」
電話の向こうで叫ぶ真二。対する智樹は完全に脱力しきっており、声には全く覇気が無い。
「とにかく何があったのか話してみろよ」
「ああ… 聞いてくれ…」

『香坂由香里が藤沢圭と付き合うのを「条件付き」でOKした』
揺るぎない眼差し。藤沢圭の、それは逆転の手札。
「由香里先輩に惚れたのは、陸上部に入って間も無くでした。
いつか告白しようって、ずっと思っていた。けど由香里先輩、かなりモテてたから気後れして…
そんなある日、先輩に彼氏が出来たってニュースを耳にしました」
藤沢圭は語り続ける。智樹は、聞き逃さないよう黙ってそれを聞いていた。
「…ショックでした。いつも応援してくれる先輩の為に、ずっと頑張ってきたのに…」
(応援…? 由香里が応援していたのはお前個人じゃない。陸上部全体だ。自惚れるな!)
智樹は心の中で毒づいた。藤沢圭の言葉、その全てが癇に障る…
「今日部活が終わった後、下駄箱で、あなたを待っている由香里先輩を見かけました。
30分経っても、1時間経っても、先輩は帰ろうとしない。それどころか待つのを楽しんでいるかのようだ。
…その姿を見て…待たせているのが俺だったらな、って考えたら…抑えられなくなって…」
「由香里に告白したのか」
はっきりと頷く藤沢圭。それを確認すると、智樹は一気に核心に迫った。
由香里が提示した、藤沢圭の告白を受ける…その「条件」。
「…由香里は何と?」
「…明日の午後、大会があります」
「?」
「そこで俺は自己新をたたき出します」
戸惑う智樹に自身たっぷりの笑顔を向け、藤沢圭は踵を返す。
「そしたら先輩は俺の物だ」

「成る程…そんなことが…なぁ…」
智樹の説明が聞き終え、溜息混じりに真二は呻いた。
「で、香坂に連絡は?」
「携帯の電源、切ってた」
「……」
長い沈黙。お互い何も喋らない。
こういう時の気が利いた言葉を、どちらも持ち合わせていないのだ。
「…待てよ…」
不意に真二が口を開く。何かに気が付いたらしい。
「智樹。お前…香坂との付き合い、手を抜いていなかったろうな?」
「…っ! 当たり前だ! 俺が由香里を蔑ろになんかするかよ!!」
いきなりの真二の言葉に激昂する智樹。それを受け、真二はある結論を導き出した。
「藤沢圭も…使ったのか?」
「…何をだよ」
「古井戸の呪い(まじない)を…!」
その言葉。久々に思い出す。かつて自分も使った、想いを捻じ曲げる、暴力的なまでの恋の捕縛。
あまりにも順調だった由香里との交際に、智樹は自分が犯した罪をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「そんな… 藤沢の奴も…知っていたのか!?」
「それ以外は考えにくい。藤沢は、どこかで呪いの噂を聞きつけ、あの古井戸を見つけたんだ!」

(あんな出所の判らない胡散臭い噂を、果たしてあの藤沢圭が信じたりするだろうか?)

浮かび続ける疑問。勿論全てはifの話だ。だが、贔屓目に見なくても今日の展開は急すぎる。
「呪いの上書きか。やっかいだが、まだ手はある」
「え…何だよそれ。まだ俺に勝ち目が?」
「ああ。…ところで今何時だ?」
言われて智樹は廊下の壁掛け時計を仰ぎ見た。
「2時…40分か。随分話し込んじまったな」
「やっべえ!!!」
突如、電話の向こうの真二が叫んだ。
「智樹お前今すぐ走れ! 今すぐにだぞ!!」

授業が午前中で終わる土曜日、必然的に部活動の時間が長くなるのはよくある話。
智樹達が通う学園も例外では無く、長い時間を有効利用する部は多い。
特に陸上部は、近隣の学園と合同で毎週ちょっとした記録大会を催していた。

この日、永沢智樹の姿は大会を見学しようと学園に向かう一団の中に見られた。
内心今すぐにでも逃げ出したかった。が、それでも彼はやってきたのだ。
事の顛末を見届ける為に。
グラウンドでは、既に陸上部の面々はウォーミングアップを始めている。
到着後、すぐに智樹は由香里を探し始めた。陸上部マネージャーなら部員の近くにいるはずだから。
程なくして体操服姿の由香里が確認された。見ると藤沢の柔軟のサポートをしている様子だ。
足をハの時に開き、上半身を前に倒す藤沢圭の背中をぐいぐいと押す由香里。
「いって、いててて! 由香里先輩もうちっと優しく…」
「昨日も頑張りすぎたから… 全く、言っても聞かないんだから」
「え…いつもどうりだったでしょ? 大事な大会前にそんな…」
「はいはい誤魔化さない。筋肉・ガチガチに・なっ・てる・わ・よっ!」
ぐいぐいぐい!
「のぉ~~! ギブギブ!!」
(…あの二人、いつもあんな調子なのか…?)
言い様の無い不安に襲われるも、智樹は黙って観客の中に混じった。そしてその時を待つ…

大会は順調に進んでいく。100M走が済み、400M走も何事もなく終了。
そしていよいよ、藤沢圭が走る800M走となった。
「藤沢~! 行けー!!」
「藤沢ク~ン! ガ・ン・バ! キャア~ッ!!」
あちこちから声援が飛び交う中、由香里は黙したままだった。
手を胸の前で握り、祈るかのように瞳をぎゅっと閉じている。
その胸中にはどんな想いが、願いがあるのだろうか?
スタートの合図の空砲が鳴った。

歓声に沸くゴール前。
藤沢圭はやってのけたのだ。
自己新どころか大会新記録。
へとへとになって帰ってきた藤沢圭を、部員たちがもみくちゃにする。
その中には無論マネージャーの由香里の姿が。
汗だくになった藤沢圭を、抱きしめて称える由香里。
その姿を見た瞬間、智樹は己の敗北を悟った。

「おめでとう!やったね!!」
「ありがとう由香里先輩! これでやっと…ん?」
後ろに視線を感じ、藤沢圭は振り向いた。
そこには、神妙な顔をした智樹の姿があった。
「と、智樹クン…」
智樹がこの場にいたことに驚く由香里。しかし智樹は由香里に構わず、藤沢圭と向かい合った。
「おめでとう。君には感服した」
せめて最後ぐらいはカッコつけよう。そう考えての行動だった。スッと利き腕を差し出す。
「はぁ、ありがとうございます…」
怪訝な表情で、藤沢圭は握手を返した。
「これで念願成就だな、藤沢」
きょとんとしつつも、智樹の言葉を理解したのか、一気に真っ赤になる。藤沢圭は純情な男だった。
(由香里にはこんな男がふさわしいのかもな)
そんな事を考えながら、智樹は踵を返す。これが今生の別れ…
だが、奇跡は起きた。

「…由香里先輩。もしかして喋っちゃったんですか!?」
ギロリと由香里を睨む藤沢圭。あたふたと由香里はそれを否定する。
「そ、そんな事無いよ!? ね、智樹クン、私言ってないよ…ね?」
「え…?」
意外な展開に思わず振り向く。何が何だかさっぱりだった。
「彼氏に隠し事はしないっつっても、後輩の色恋沙汰まで喋るのは…行き過ぎだと思うんですがねぇ」
智樹の頭に?マークが行き交う。あせりまくる由香里が智樹に同意を求めてきた。
「私、言ってないよね? 藤沢君が好きなコの為に頑張ったこと、ばらしてないよね?」
「はああ?」
由香里の話はこうだった。
藤沢圭には、かねてより片思いしている相手がいた。思い悩んで先輩である由香里に相談した所、
由香里は、「この大会でいい記録を出して、それを告白するきっかけにすればいいよ」とアドバイスしたとのこと。
(ちなみに昨日由香里が電話に出れなかったのは、充電器を教室に忘れたかららしい)
話を聞くにつれて、智樹の顔に笑みが浮かぶ。そして藤沢に耳打ちする。
「なぁ藤沢、その好きな相手って…俺のクラスの後藤沙希?」
藤沢圭の想い人。その名前を、智樹は何故かあっさり看破した。
「ぐわぁぁぁっ!! そこまでバラしてたなんて、見損ないましたよ由香里先輩!!」
「あ~ん! 知らない。知らないよぉ!!」
とうとう二人は追いかけっこを開始した。それを見て部員達がどっと笑う。智樹も同時に笑いだす。
だが皆とは違う理由で…彼は笑っていた。
それは、前日の作戦が功を奏したことに対する、黒い歓喜の笑い。
この日以降、智樹の行動は逸脱を開始する。

大会前夜、智樹は深夜の街を全力疾走していた。
一発逆転の鍵。その在り処へと向かう為に。
おもむろに電話横に備え付けのホワイトボードを引っぺがし、小脇に抱える。マジックも忘れない。
そしてそのまま着替えもせず、寝間着のまま家を飛び出したのだ。
『智樹。ペースを乱さすなよ。休み無く走れば間に合う』
「はぁっ、はぁっ、オッ、ケェー…」
それだけ言って智樹は携帯電話を切った。
深夜の、一人きりでの滑稽なマラソン。少し冷たくなった空気が幾分か疲れを軽くしてくれる。
それでも帰宅部の智樹にとってはかなりのハードワークだった。

深夜2時55分。智樹は目的地に辿り着いた。
その場所とは…裏山の、あの古井戸。
「ハッ… ハッ… 間に、合った…!」
『よく頑張ったな。じゃあさっそくかかれ!』
「よ、よし… …………え?」
行動を開始しようとした智樹は愕然とした。
古井戸の前に…誰かがいる!
月明かりに照らされたその顔は…見紛うはずもない、あの藤沢圭だった!
「俺がこんなもんに頼ったなんて…ナンセンスだよなぁ。でもあの時は藁にもすがる思いだったし」
古井戸の前で独りごちる。それは、他力にすがった己を無理矢理納得させているかのように見えた。
(くそ、やはりアイツも知ってやがったのか…)
智樹は歯噛みした。リミットまで、あと僅かしか無いのに…!
『おい智樹、どうした?』
携帯から心配そうな真二の声が聞こえる。
「いやがんだよ…あいつが!」
『マ、マジかよ』
そんなことを話している間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。

「でも今日は、もの凄いチャンスが手に入った。神様のご利益も…少しはあったのかもな」
パンパンと井戸に拍手を打つ藤沢圭。彼の中で古井戸はそんな程度のものらしい。
だが今の智樹にはそのことに安堵している余裕は無い。
(帰れ!早く帰りやがれ!!)
このことで頭がいっぱいだった。
その後、ひとしきり明日への意気込みやら本番での走り方やらを確認した後、藤沢圭は裏山を降りていった。
瞬間、智樹が飛び出す。残る時間はあと僅か!
転びそうになりながらもホワイトボードを構え、マジックの蓋を口でねじり飛ばす。
『書け!誰でもいいから!』
焦り気味の真二の声。だが智樹も同じだ。急いで藤沢圭の名を書き殴る。

・藤沢圭

『あと10秒!』
「くそっ!!」
(誰でもいい。とにかく書くんだ!)
智樹は由香里以外の女子生徒を思い浮かべる。
真っ先に浮かんだのは、同じクラスの後藤沙希。クラスで一番の不細工。記憶に鮮明だったのもその所為か。
一瞬躊躇する。が、藤沢圭が由香里を狙っているという事実を瞬間的に再認識。怒りに任せて後藤の名を刻む。

・藤沢圭
・後藤沙希

(構うもんか。地獄に堕ちろ、藤沢圭っ!!)
書き終えるや否や、智樹は一足飛びで井戸に噛み付き、両手でホワイトボードをその奥底へ叩き込んだ。
『恋敵を他の相手とくっつける』
真二が提案した作戦。それは悪魔の采配。
間に合ったかどうかは神のみぞ知る。そんなタイミングで作戦は完了したのであった。

 

(6)

「ねぇねぇ知ってる? この間智ちゃんがね…」
「…へぇ、そうなんだ」
「古文の小テスト、問二の答えがわかんなかったよ」
「うん…あれ、難しかったよな」
放課後、いきつけのハンバーガーショップでの何気ない会話。
話題を振る由香里だったが、肝心の智樹はただ適当に相槌を打つだけだった。
(最近の智樹クンは何か変だ)
漠然とした不安が由香里を包む。しかし、由香里はめげない女の子だった。
「E組の松坂君って知ってる?」
ぴくっ!
智樹が過敏に反応した。おもむろに懐からメモ帳を取り出す。何かを書き、すぐ仕舞う。
「その人、麻衣子の彼氏なんだけ、ど……………ごめん、何でもない」
「そう…」
…そしてまた、心ここにあらず状態に戻る…
ここのところ、ずっとこんな調子なのである。
「……智樹クン。私といっしょじゃ…つまんない?」
「そんな訳ないじゃないか。楽しいよ」
「…ならいいんだけど」
弾まない会話。重苦しい時間。どちらとなく席を立った。

その夜、裏山へと向かうコート姿の智樹の姿が見受けられた。
夏真っ盛りに怪しさ大爆発のいでたちなのだが、当の智樹は意にも介していない。
道中、例のメモ帳を取り出す。今日の標的は…

・体育教師の郷田太郎
・隣のアパートに住む兼弘猛
・お笑いコンビ「ねっかちーふ」の小さい方
・「ヴァーミリオンサンズ」のヴォーカル、R=アーカイザー
・同級生の保坂年次
・同級生の石塚俊男
・同級生の松阪勇気

これらは全て、本日由香里からの話題に上った男性の名前である。
「さぁて、こいつ等は誰とくっつけてやろうか…」
一人の女を取り合わせるとか? 野郎同士ってのも笑えるかも。
今日も智樹は古井戸に向かう。由香里に纏わり付く男の影を払拭する為に。
気分は、姫君を守る騎士ようだった(やってることは悪の魔法使いそのものだが)。

そんな過剰なまでの防衛の日々を送っていたある日、事件は起きた。
学校から帰った智樹は、家に鍵がかかっていることに気付く。
「あれ…今日はかあさん留守なのか」
ポストから合鍵を取り出し、家の中へ。
台所には、書置きとラップで包んだ夕食がある。
「この前撮ったビデオでも見ながら食うか」
智樹はレンジでそれを暖め、いそいそとテレビのある居間へ運び込んだ。

テレビ台の下をごそごそと漁り、目当てのビデオテープを探し出す。
ちゃぶ台の特等席に陣取り、智樹は再生ボタンを押した。
『特捜リザーブXXX。これは、世の中に蔓延する不可思議な現象を科学の瞳で暴き出す、真実の記録である』
目当ての番組は野球で延長になっていたらしい。テープには一つ前の番組が入っていた。
(まだやってたんだな、この番組)
そんなことを考えながら、智樹は夕食の焼きそばをすすり出した。
『今回のテーマは学校の怪談についてである。ITの波がおしよせる現代社会において、オカルトが我が物顔で
闊歩するスポット、学校。若者達が出会いと別れを繰り返すこの場所には、一体どんな怪異が息づいてるのだろう』
5年も続くこの番組。流石にネタギレなのか、突飛な内容が多くなってきている。
食事に夢中になり内容を軽く流していた智樹だったが、番組がある話題に移った時、その箸がぴたりと止まった。
『ケース2:Y県T市にある私立○○学園。不思議な井戸の伝説の正体を暴け!』
「なにいいっ!?」
立ち上がった弾みで、ちゃぶ台から焼きそばの皿が滑り落ちた。
『秘めたる想いを叶えてくれるという井戸の幽霊は、本当にいるのだろうか? 早速取材班は現地に足を運んだ』
テレビにかじりつき食い入るように見入る。
モザイクが掛かっていたが、そこは間違いなく智樹が通う学園だった。

リポートを続ける取材班が、一人の学生を捕まえ、インタビューを試みる。
『ええ、知ってますよ。井戸に身を投げた夜鷹の霊が両想いにしてくれるんです。現に俺もそのおかげで…』
突然の取材に舞い上がってペラペラと喋りまくる学生。
「こいつ…どこかで見たことがある………ま、まさか!」
目元にモザイクが掛けられてはいるものの、その程度で国民のプライバシーが守れるはずもない。
テレビに映し出されたその男は、
智樹の悪友… 
この呪いを智樹に紹介した男…
高田真二、その人であった…
「あいつっ!!」
檄昂する智樹。しかしすぐにハッ、となり、すぐさま頭出しをし、番組の放送日時を確認する。
「よ、4日前…」
愕然とした。
4日間。
その間に、
どれだけの人間がテレビを見たのだろう。
どれだけの人間があの古井戸を利用したのだろう。

そして、

どれだけの人間が、

――隣に香坂由香里の名前を書いたのだろう――

目の前が真っ暗になり、智樹はその場に崩れ落ちた。
番組は、既に一本足で歩くワンちゃんの話題に変わっていた…

「この馬鹿野郎が!!」
ガシャァァン!!
転落防止用のフェンスが激しく軋む。
夜の校舎屋上に呼び出された高田真二は、永沢智樹に激しく糾弾されていた。
「何であんな事言いやがったんだよ!」
「お、落ち着けよ智樹。別にたいしたことじゃないだろ?」
「何だと!」
真二は思いのほか平然としていた。智樹はそれが無性に腹が立つ。
「俺は呪いの方法までは喋ってなかったろ?大丈夫だって」
「ふざけるな!もし偶然「あの方法」を発見する奴がいたら? もしそれが広まったりしたら?
一体どうするつもりなんだっ!!」
ありえない話ではない。可能性は0ではない。しかし真二は平然としたままだ。それどころか…
「…俺は構わんけどな」
しれっと、そうのたまった。
意外な真二の言葉に勢いを失う智樹。真二は立ち上がり、尻の埃を軽く払った。
「緒美奈裕子のことは実験だっつったろ。本気で好きなわけじゃない。ま、練習台ってとこか」
「そんな… だってお前、あんなに仲良く…」
「俺、他に好きな奴いるし… その時色々と失敗しないように経験を積んどきたかったんだよ」
「し、真二…」
「いいじゃん。あの井戸がある限り、女なんてどうにでもなるんだ。お前も香坂だけに
こだわってると人生損だぜ。じゃーなー…」
そういい残し、真二はひらひらと手を振りながら去っていった。
あまりの出来事に言葉も出ない。
しばらく呆けていた智樹だったが、あることに気が付き、戦慄した。
(…誰かの妨害を受けたのか?)
真二の、自殺行為にも等しいあの番組での言動。そして今の会話。すべてが一本の線で繋がる。
(緒美奈を好いてる誰かが、あの井戸を使って真二と他の女とを恋仲にしたんだ!)
誰とも分からぬ恋敵の介入。もしかしたら不特定多数。
それは、いつ由香里と智樹を狙うやもしれない。
智樹の、行き過ぎの感があったここ数日の杞憂が俄然現実味を帯び始めた。
噂は事実を伴って拡散していく。事態は極めて深刻であった。

夜は嫌い。
勉強していても、本を読んでいても、気は紛れない。
夜は、あの人が傍にいない時間だから。
そんな時、私は決まって机の引き出しの、その一番奥に隠してある日記をそっと開いてみる。
そこに眠るのは、
ずっと綴ってきた、あの人への想い。

無理は承知で挑んだ入学試験。
ドジな私は鉛筆を全て忘れてきてしまっていた。
気付いたのは開始直前。
もう後の祭り。途方に暮れる私。そんな時、あなたはそっと手を差し伸べてくれた。

『一本しか貸せなくて悪いんだけど』

あなたが持ってきていた鉛筆はたった二本。
大事な試験だというのに、あなたはそのうち一本を私に貸してくれるという。
その半身を分けるかのような行為に私は感動した。涙が出るほど嬉しかった。
私達はお互い一本の鉛筆で試験に臨んだ。
私の一つ前の席で折れた鉛筆を必死に削るあなた。その後ろの私も同じことをしている。
何て滑稽な二人なんだろう。周りからクスクスという笑い声が聞こえる。
何だよぅ。笑うなよう。
こっちはいっぱいいっぱいなんだぞ。
…でも平気。二人だから恥ずかしくない。
そんな、そんな些細なきっかけで、私はあの人を好きになった。
一緒に合格できるといいな… 同じクラスになりたいな… そして、いつかあの人の隣で可愛く笑えたらな…

「待たせたなっ」
声をかけられ、我に返った。
喧騒。行き交う車の波。夜の街。そこは待ち合わせ場所。気が付けば、約束の時間だった。
顔を上げ、声の主を見上げる。
嫌いな夜が始まった。付け慣れないイヤリングが、やけに重たかった。

 

(7)

早朝。人気の無い住宅街を、由香里は一人歩いていた。
生気が抜け落ちたかのような、静謐な街並み。
それは、由香里にとってはいつもの朝の風景だった。
「今日も暑くなりそうだな」
汗ばんだ肌に、容赦なく夏の太陽が照りつける。
(とりあえず、シャワー浴びたい…)
まだ家の者は寝ているだろう。今のうちに…と由香里は歩みを速めた。

TRRRRRRRR…

不意に鳴り出す由香里の携帯。その液晶画面には…

「来た―――」

由香里の心臓が跳ね上がる。
そのまま携帯を鞄の奥に仕舞い込み、駆け足。
一刻も早く、昨日の名残りを洗い流さなきゃ。
その気持ちが、由香里を駆り立てた。今日も一日が始まる――

「由香里に、頼みがあるんだ」
その日の昼食のこと。智樹が不意に切り出してきた。
智樹からの頼み。
何だろう。
由香里はちょっとどきどきしていた。
「…何?」
由香里は動揺を悟られぬよう、出来るだけ平静を装う。
「前もって言っておくけで、理由は聞かないで欲しい」
もったいぶる智樹。少し焦れたのか、由香里は続きを急かす。
「そんなんじゃわからないよ。私はどうすればいいの?」
「……」
少しの逡巡の後、智樹は口を開いた。

「今日と明日、学校から帰った後は一歩も外に出ないでくれ」

突然で、突拍子も無い、要求。
よほどの理由があるのだろう。だが…
「そ、そんな無理だよ。私…」
言いかけるも、由香里は口をつむぐ。
真剣そのものの智樹の顔。
断ることなど出来ようもない。
「…うん、わかった…」
由香里は黙ってその要求を呑んだ。

放課後、由香里を見送った後、智樹は家に飛んで帰った。
玄関に靴を投げ捨て、まっすぐに自分の部屋へ。
勉強机の上のは、巨大な小包が届いていた。まさに予定通りのタイミング。
「明日の夜までにケリをつけてやる…」
そう呟き、梱包を乱暴に破り捨てる智樹。中からは数冊の分厚い書類が姿を現した。

それは、この近辺にある学園の学生名簿であった。

これらを入手するため、智樹は数日前からありとあらゆる知り合いに電話をし、
頭を下げ、しつこく根回しをしていたのだ。
『由香里に接触も持ったことのある男全てを駆逐する』
その為のデータがこの中に眠っている。
「俺達の年代から前後5年。これだけの範囲を網羅すれば、いくらなんでも…」
智樹は自分に言い聞かせる。
確かに、香坂由香里が生きてきた中で、最も多く人と接してきた場所と言えば学校だろう。
名簿に記された男性(生徒、教師、父兄)の数は軽く7000人を超える。
それは、
『香坂由香里に傾倒している可能性のある人間』
その殆どを網羅しているのかもしれない。

だが、それで完璧といえるのだろうか? 
箱の中の見えない猫を観測する行為。確率可能性のお話。

「だがそれでも、限りなく0に近づく」

根拠の無い自信であった。
智樹は既におかしくなっていたのかもしれない。

食事もせず、眠りもせず、取り憑かれたように、智樹は作業をこなし続ける。
日が変わった。
でも学校なんかには行ってられない。作業が最優先。
ただひたすらに、ただ愛しい由香里の為に。

その甲斐あってか、深夜0時近く、全ての作業は完了した。
途中何度か意識を失ったものの、遂に智樹は7000組近くのカップリングを作り上げたのだ。
達成感が、心地よい疲労とともに智樹を休息へと誘う。
「だ、駄目だ!」
パーン、と両頬を叩き、己の肉体に覚醒を強要する。
「まだ終わったわけじゃない」
そう、最後の仕上げが残っているのだ。
智樹は出来たばかりのメモ帳の束を鞄に積め、さらにもう一つ別の鞄を携える。

あいにく外はどしゃぶりの雨。だが智樹は意にも介さない。
極限まで体を酷使した為だろうか、妙な高揚感が智樹を包む。
「待ってろよ由香里、これでもう安心だからな」
疲れをものともせず、智樹は雨の中を駆けて行った。

程なくして、智樹は例の古井戸の元へと辿り着いた。
先日のTVの効果で、一時期人でごったがえしたという話もあったが
流石にこの天気では誰もいないようである。
智樹にとって、これから行う作業のことを考えると好都合であった。
雨の中、智樹は静かに時間を待つ。
古井戸が呪い(まじない)受付け始める時間を。
「あと3分…2分…1分…」
デジタル式の腕時計が時を刻む。
そして、魔の時間は訪れた。

「消えろ! お前等、由香里の目の前から消えてしまえ!!」

智樹が吼えた。
まずはメモ帳の束を井戸にぶちまける。
おびただしい量の紙片が井戸の闇に消えていく。それでも井戸の底は見えない。
普段ならこれで作業終了なのだが、今日は違っていた。
智樹は家から持ってきたスコップを取り出し、構える。
そして、辺りの土を掻き出し、井戸へと流し込み始めた!
「この井戸が…口を開けているのがいけないんだ…!」
狂気の形相で、井戸に土を投げ入れ続ける。
「これで、誰も俺達を邪魔することはできない!させやしない!!」

そう、永沢智樹は、古井戸を封印するつもりなのだ。

ひたすらに土を掻き、井戸の口に注ぐ。
30分くらい続けた時点で、ようやく底が見えてくる。
それを確認した智樹は、今度は井戸に石を投げ入れ始めた。
「…っだらあぁ!」
大小様々な石で重く井戸を塞ぎ続ける。
そして、遂に井戸の底は、口近くまでせり上げられた。
最後の仕上げにと、智樹は鞄から日曜大工用のモルタルを取り出した。
井戸の口ぎりぎりまでモルタルを注ぎ込み、雨で流れないようにシートを掛ける。

『この井戸は、叶わぬ恋に世を儚んだ夜鷹が身を投げたといわれている。
その夜鷹の霊魂が、自分の代わりに幸せになってほしいと、恋の橋渡しをしてくれるんだ』

呪い(まじない)の元は絶たれた。
これ以降、奇跡は起こらないのだ。

井戸の封印を完了させた瞬間、智樹はその場に崩れ落ちた。
精魂尽き果てたのだろう、ぴくりとも動かない。
「やったぜ…由香里…」
愛する姫を守り通した騎士。
果たして祝福のキスはあるのだろうか。

ぴっぴろりろっぴぴり~ん!!
「!?」
不意に鳴り出す智樹の携帯。疲弊し切った体に鞭打ち、胸ポケットをまさぐる。
その液晶画面には…

-メール着信  ユカりん-

見知らぬ相手だ。だがこの漠然とした不安は一体?
智樹は恐る恐るボタンをクリックする。メールの封が解かれ、内容が展開された。
―――――――――――――――――――――――
ながピー、元気してた?(⌒∇⌒)
メール☆(*^-゜)v ThankS!!

何かさ~、最近皆彼女が出来たって遊んでくんないの。
ユカりんの事より好きなんだって(;_;)

だから今日はながピーに慰めて欲しいな…

いつもの公園にて貴君の到着を待つ( ̄▽ ̄)ゞビシィ!

P.S~
この前の賭けは、ながピーの勝ちだったから
約束通りのコトしてあげる~(≧∀≦)/

byゆかリン
―――――――――――――――――――――――
智樹のの心臓が跳ね上がった。
そのまま携帯を鞄の奥に仕舞い込み、駆け足。
一刻も早く、この不安を払拭したい。
その気持ちが、智樹を駆り立てる。夜はまだ終わらない――

 

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